寄り添い生きる。

自律神経失調症(全般性不安障害)、自分自身に寄り添い生きて行くブログ

死の瞬間

僕は兄と共に、父が旅立つ瞬間に立ち会う事が出来ました。

 

出張の多い僕にとって父の最期に立ち会えたのは本当に奇跡で、

ただ運が良かっただけとは思えない必然を感じていて、

きっとこれは父が計らってくれた事なんだと確信しています。

 

父は自宅内でコケたり高熱を出しては入退院を何度か繰り返していました。

その度に弱っていく父を見るのは、悲しいというか、寂しいというか、

本当に何とも言えない気持ちでいっぱいだったのを覚えています。

 

最期に入院したのは、誤嚥による高熱が出たとき。

 

もうこの時点で足腰はかなり弱っていて歩行は困難、それだけでなく

喉になにかを通すのも苦しそうな感じでした。

 

入院してしばらくすると、立てなくなり、起き上がれなくなり、間も無く

ものを飲み込む事が出来なくなってしまいました。

 

こうなると通常は点滴による栄養・水分補給、或いは胃ろうに移行すると

思うのですが・・・

「不自然な延命処置はしないで欲しい」と昔から言い続けてきた父の固い意志、

そしてそれを尊重したい僕たち家族の思いがあったので、

その旨を担当医師に伝え、あくまで自然な流れで生き続けたい、

そんな父のやりたい道を選択した日の事は忘れもしません。

 

思えば、僕が小学生や中学生の頃から延命処置の話題やニュースを見ると・・

 

「歩けなくなって、ものが飲み込めなくなったとき、

    それでも無理やり生きたいとは思わんな」

 

「もし万がいち、俺がそんな状態になったら、おまえ絶対に延命処置すんなよ」

 

「俺は(言い方悪いけど)植物状態になってまで生きたいとは思わん、よろしく」

 

と何度も言っていた父。

 

でも…やっぱり…いざその時になると…この選択をするのはキツかった。

 

だって1日でも長く生きていて欲しいから

 

だってひょっとしたら元気な父をもう一度見れるかもしれんやん

 

でも父の人生を僕たちが決めていいはずが無い。

父の人生は、他の誰でもない父のものだからです。

だから父のやりたいよう、きっと即断即決で迷いなく選ぶ選択を、

僕たち家族も選ぶことにしたのです。

 

 そして徐々に、一日一日確実に衰弱していく様子。

食べ物だけではなく水分ですら取り込めなくなって、

徐々に脱水状態になっていく様子。

 

旅立つ少し前から呼吸の様子が変わり、かと言って苦しそうな様子でもない。

 

最期は少しため息をつき、そしてお迎えがやって来ました。

 

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不思議とそのとき、悲しくはありませんでした。

 

あまりにも自然に見えて・・・

これが人間の自然な最期の迎え方なんだろうな、と

冷静に捉えられる自分がいたのです。

 

1人の人間が一生を終えるまでの過程、その瞬間、空気感、雰囲気、振る舞い……

 

父は僕たちに、身を以て様々なことを教えてくれました。

これは僕が死ぬまで忘れることはない

 

僕も歩けなくなって、そしてやがて食べたり飲んだりする事が出来なくなる

その日まで、精一杯生きようと、腹を括れることが出来るように感じます。

 

明日は母と買い物に出掛ける予定です。

そのとき、最近のいつものように父の話を笑ってできたならなと

今から楽しみにしています。