父の症状に、徘徊(しようとする)がありました。
ただ父はパーキンソン病も併発していたので動きが非常に遅いことが多く、
例えば夜中に自宅からどこかに出て行こうとしても、母が必ず停めることが
出来ていました。
この時にとても役立ったのはドアベルで、コーナンで数千円くらいの
ちょっと大きめかつ音が結構出る物を選んで使っていました。
ドアをちょっとでも開けると「カランカラン」という奴です。
※ パイプチャイム、という名称だったと思います。
夜中に出て行こうとしたとき本人にどこへ行くのか聞いてみると、
「え?」と言って静止しちょっと考えたあと「俺なんか今おかしいなあ?」
と言ってベッドに戻ることもあれば、
「どこって?……俺の家に決まっとおやん」と言って外に出ることも。
そういう時は父の言っている事に付き合って、
一緒に外へ出て何気ない会話をする、
その中で「こんな夜中に帰らんとあかんの?」
「明日の朝でもええんとちゃう?」
という風に話を持って行くと、やがて「じゃあ一旦戻ろうか」となり
無事に帰宅する、という繰り返しが多かったように思います。
※ 父はもともと穏やかな性格でしたので、そのおかげも多分にあったおかげで
おおごとにならずに済んだのだと思います。
ですが認知症が進み、それとともに母が疲弊して疲れとストレスが Max の時、
夜中に急に起こされて、よく分からない事を言い続ける父に対し母がいつも
寛容な態度で接する事が、当然ながら出来ない場合もありました。
夜中に玄関で言い合いになったり…
思い余って父の頬を母がペチンと叩いてしまったり…
そのときの2人の気持ちを思い起こすと、今でも苦しい気持ちになります。
それでも父が徘徊しようとしたとき、出ようとしている事に気付いて
気持ちはどうであれ対応できたおかげで大事に至らなかったのは、
ドアベルのおかげでした。
認知症介護をしていると、そのようなグッズ一つを取り付ければ対策できるような
事も見逃してしまったり、気付けない状態にまで心が追い込まれる事があります。
メインの介護者が気付く場合もあると思いますが、認知症の進行に伴って
ともに疲れていく確率が高いのは、やはりメインの介護者です。
そんなときはその周囲にいる人がフォローに入るしかありません。
これから高齢化社会を迎えるにあたり、1人でも多くの人が認知症介護に関して
常に色んな知識を蓄え、家族若しくは周囲の人に対し、そのときそのときで
できる事を確実にやり支え合う、そんな社会がきて欲しいと切に願います。